企業や経営者による不正行為で謝罪会見する場面をしばしば目にする。仮に企業の不正行為に経営者自身が関与していなかったとしても、道義的な責任があり、「知りませんでした」ということには通常ならないので、いずれにせよ不正行為に対する経営者の責任は重大と言える。
こうした場面でしばしば、コーポレート・ガバナンス(あるいはガバナンス)の機能不全が指摘される。コーポレート・ガバナンスとは、「企業の不正行為の防止と競争力・収益力の向上を総合的にとらえ、長期的な企業価値の増大に向けた企業経営の仕組み」とされている。(wikipediaより引用。)不正行為の防止はどちらかと言うと“後向き”な目的と言えるが、このガバナンスの後向きな面を強化するために、執行と監視の分離、内部統制の強化などの対策が取られる場合が多い。
たとえば経営トップの不正行為が表面化した日産自動車は、執行と監視を分離するために監査等委員会設置会社への移行を先月の株主総会で決議し、取締役会議長には社外取締役が就任した。経営者に絶対的な権力を付与せず「暴君」にしなければ、経営者の不正を抑止できるという前提での対応だが、さまざまな事情を考慮しての決断だったのであろうと推察できる。

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しかしながら、ガバナンスをもう少しシンプルに考えても良いのでは・・・・・と感じる。私自身の理解は、「会社の常識と世間の常識とのズレをなくす」というもので、この基本線をクリアできれば可だと思う。そもそも、監視や牽制が強化されることは良いことだとは言いにくい。それにガバナンスの“前向き”な目的である競争力・収益力の向上にとってマイナスの影響を及ぼす可能性も否定できない。

中小企業診断士として「世間の非常識」を抱える会社に遭遇する場面があるが、その時に「世間の常識」(と思われるもの)をその会社に吹き込むことは大切な責務だと思う。そのためにも、「自分自身の常識」をチェックできる判断力、規範意識は大切にしたい。